浦和レッズは“世間の目との戦い”を選んだ。チョウ・キジェ監督招聘、その過酷さに耐えられるか

2026/27シーズン開幕前、明治安田J1リーグ所属の浦和レッズは、トップチームの新監督にチョウ・キジェ氏を招聘した。

湘南ベルマーレで長期政権を築き、2021年には長くJ2リーグで足掻いていた京都サンガをJ1昇格へ導く。その後も京都を率い続け、同クラブの礎を築いた。

ここで取り上げたいのは、チョウ氏が優れた戦術家かどうかではない。

チョウ氏を招聘することで必然的に注がれる厳しい視線を、浦和レッズというプロサッカークラブは最後まで引き受けられるのか。私が問いたいのはこれだ。

消えることのない不祥事

チョウ氏を語るうえで、湘南ベルマーレ監督時代の出来事を避けて通ることはできない。

2019年、Jリーグはチョウ氏によるパワーハラスメント行為を認定した。

Jリーグが公表した調査結果では、スタッフに対するパワーハラスメント行為が認められ、出勤できなくなるなどの被害が生じたこと、選手に対してもパワーハラスメントに該当する不適切な言動などがあり、精神的苦痛や移籍を余儀なくされるという被害が明らかにされた。

チョウ監督には譴責(けんせき)と公式戦5試合の出場資格停止が科せられ、後に日本サッカー協会公認S級コーチライセンスの1年間停止処分が下されている。

私は、一度パワーハラスメントを認定された人間が、二度とサッカー界で働いてはいけないとまでは思わない。また、サッカー界以外の職場からも排除せよと言うつもりもない。深い反省を前提としつつ、過ちを犯した人間にも再び仕事をする機会は与えられるべきだろう。

しかし、再起する機会が与えられることと、過去について問われなくなることは別の話である。認定された不祥事は、一定期間が経てば消滅するものではないからだ。

数年前、チョウ監督と関わりが深いある人物から、「パワハラについて今さら話題にされるのは本意ではない」という趣旨の言葉を向けられたことがある。

この人の心情自体は理解できる。親しい人物の過去の問題について繰り返し言及されることを、快く思わないのは自然な感情だろう。

しかし、私はその人の言葉を聞いたときに疑問を抱いた。チョウ監督を庇う人たちは、彼の言行によって傷ついた被害者の側にも、同じように思いを寄せているのだろうか。

加害者にとっては昔の話でも、被害者にとっても同じく過去の話になっているとは限らない。チョウ氏がプロサッカークラブの監督として再び大きな舞台に立つのであれば、過去と向き合い続けることもまた、その再起に伴う責任なのではないか。

チョウ氏本人や、彼を監督として迎え入れたクラブの自己評価だけで、反省が十分かどうかの検証を完結させるべきではない。

気になるチョウ監督の言動

だからこそ、現在のチョウ監督の振る舞いについても、過去と切り離さずに見る必要があると私は考えている。

浦和レッズが配信している映像コンテンツを見ると、チョウ監督が選手たちを「お前たち」と呼ぶ場面がある。

この言葉を使ったことだけをもって、パワーハラスメントだと主張するつもりはない。「お前たち」という呼び方それ自体が直ちにパワーハラスメントに該当するわけではないし、指導者と選手の関係性や発言時の文脈によって、その意味合いは異なる。サッカー界では珍しくない言葉遣いだという反論もあるだろう。

それでも、私はチョウ氏の言動に違和感を覚えている。ベルマーレの監督時代に犯した過ちを深く反省しているのであれば、選手を「お前たち」と呼ぶことにも躊躇があって然るべきではないか。

単純な話として、氏名や愛称で呼べばいい。全員に対して何かを伝えるのであれば、「みんな」と呼びかけることもできる。

筆者がここで取り上げたいのは、「お前」という二文字そのものの是非ではない。

自分の何気ない言葉が相手にどのように伝わり、受け止められるのか。過去にパワーハラスメントを認定された指導者だからこそ、これを以前よりも慎重且つ深く考えるべきである。こうした観点での話だ。

過去にパワーハラスメントを認定されていない指導者と、認定された過去を持つ指導者。両者の言動が同じでも、私の見方は変わる。

一度失った信頼を取り戻すためには、その後の言行によって反省を示し続けるしかない。極論を言えば、チョウ監督は2019年に認定されたパワーハラスメントについて、一生向き合う必要があると筆者は考えている。

「チョウ監督は一生罰せられるべきだ」と言うつもりはない。過去の不祥事をなかったことにせず、自分への戒めとして持ち続けるべきという意味だ。再起の機会を与えられることと、以前より厳しい目で見られることは両立する。

そして、厳しい視線を注がれて然るべき人物を浦和レッズが監督として招聘した以上、この問題はチョウ氏ひとりだけのものではない。

浦和が果たすべき説明責任

浦和レッズも、今回の人事が通常の監督招聘とは違うことを認識していたようだ。

2026年6月16日、同クラブは代表取締役社長名義のメッセージを公表。このなかで、チョウ監督就任にあたりファン・サポーターから様々な意見が寄せられたことを明かした。

浦和はチョウ監督の選定理由について、縦方向への推進力、高いインテンシティー、ボールの即時奪回など、自クラブが目指すサッカーと同氏がこれまで率いたクラブで採用してきた戦術との親和性を説明。これに加え、ベルマーレの監督時代にパワーハラスメント行為が認められたことについて「軽視することはできませんでした」と明記し、ハラスメントの防止、早期発見、発生時の対応についても約束した。

当時代表取締役を務めていた田口誠氏の長文メッセージを熟読したが、それでも判然としなかった点がある。

過去の問題を踏まえてもなお、チョウ・キジェこそ浦和を託すにふさわしいと判断した理由は何だったのか。

そして何より、過去に傷ついた人々の存在を認識したうえで、チョウ氏の指導者としての再起を浦和はどのように位置づけているのか。この2点についてはファン・サポーターに向け、より丁寧な説明が必要だろう。

今後、チョウ監督には厳しい視線が注がれるはずだ。

何らかの言動が注目されれば、2019年の出来事と結びつけて論じる人が筆者以外にも現れるかもしれない。他の監督なら問題視されないような振る舞いについても、「彼は本当に反省したのか」と問われることもあるだろう。「お前たち」という言葉遣いについて私が疑問を抱いたように、何気ない一言まで過去と照らし合わせ検証される可能性もある。

これらを揚げ足取りで不公平だと感じる人もいるかもしれない。しかしながら、公平か不公平かという問題とは別に、こうした社会的評価を受ける可能性があることは、浦和レッズがチョウ氏を招聘するうえで予見できたはずだ。

予見できなかったとすれば、それはクラブの認識が甘すぎると言わざるを得ない。実社会の一部としてプロサッカーリーグやクラブが存在する以上、プロサッカークラブである浦和レッズがどのような人物を監督に据えるかは、単なる競技上の人事ではない。その選択を通じて、クラブがどのような価値観を重視する組織なのかも社会から問われることになるからだ。

浦和レッズはチョウ監督を招聘した瞬間から、“世間の目との戦い”を選んだと言える。リーグ優勝を成し遂げれば、チョウ監督就任に反対した人々を黙らせられるという簡単な話ではない。

チョウ監督とともにタイトル獲得を目指すと同時に、彼が背負う過去から目を逸らさず、一般人や報道関係者による批判や疑問とも向き合い、選手やスタッフを守り、必要なら監督本人に対して厳しい判断を下す。

これらの過酷さに耐え、最後まで自らの決断に責任を負えるだけの器が、浦和レッズにはあるのか。浦和のプロサッカークラブとしての矜持や社会的責任が、今まで以上に問われている。

写真はチョウ・キジェ監督。
Photo by J.LEAGUE/J.LEAGUE via Getty Images

文/今﨑新也(いまざき・しんや)

2015年、サッカーキング主催のフリーペーパー制作企画(短期講座)を受講。2016年以降、ニュースサイト・電子サッカーマガジン『theWORLD』の編集・ライティングに携わったほか、サッカー情報サイト『Football Tribe Japan』に寄稿。Jリーグ、WEリーグ、天皇杯・皇后杯、日本代表戦(男女)、JFAレフェリーブリーフィング、AFCチャンピオンズリーグ(決勝含む)などを取材。

2026年3月5日、スクデット株式会社を設立。代表取締役兼主筆として、サッカーを構造と文脈から掘り下げるコラムを執筆する傍ら、サッカー界以外のビジネスパーソンへのインタビューも手掛け、人生の理を探究している。

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